2011年3月11日午後2時46分
日本を大地震が襲いました。
私はその時神奈川の二階建て鉄筋コンクリートの二階の回転寿しにいて、まだ大好物のいくらが届かない頃、ゆっくりと揺れ始めました。
すしの皿が轟音とともに崩れ落ちる音で悲鳴に包まれました。
大急ぎで建物から避難し情報を待ちました。
急いで帰宅しますが信号もどこも点いていなく交通はパニックです。
渋滞している時にかなりでかい余震もきました。
生きた心地がしないというのはこのことかもしれません。
その頃車のテレビで東北の被害の状況を知り呆然です。
幸いにも僕の家族は無事でした。
何千人という人が一気に津波にのまれ死にました。
家が車が船が流されています。
あたたかい家族があった街は全部流されています。
旦那さんと娘二人が生き埋めになってしまったという女性のインタビューを見ると涙が出ます。
どこにいるの。一人になっちゃった。って泣きながら救助を待っていました。
その後どうなったんでしょうか。
今日買い物に行きましたが、粉ミルクと紙おむつが売れ残っていました。
必要としている人のもとに届かない物資。それを見ても自分には何もできない無力さに腹が立ちました。僕ができることはそれを買わないことしかできませんでした。
書ききれない被害があります。
一人でも多い無事を祈ります。
自衛隊はいままでに1万5900人救助したとあります。
頑張ってください。
引き続き余震、二次災害など十分にお気をつけ下さい。
乱文となってしまい申し訳ありませんでした。
今日食料をたくさんもって実家に帰ります。
緊急特集!東日本大地震情報&お見舞いメッセージ